[考察] 魔法世界編と麻帆良祭編の奇妙な類似
ナギ・スプリングフィールド杯の困った展開
の続きです。
前回はナギ・スプリングフィールド杯の決勝、ネギ対ラカンがそれまでの伏線を無視したところに成り立っていることを説明しました。つまり、テオドラたちという信頼できる実力者と渡りをつけることができた現状においてはネギが無理にフェイトと対峙する理由はなくなったということです。
しかしそれでも、作者にとってここでネギとラカンを真剣に戦わせることは必要な展開だったはずです。でなければ、それまでの伏線の積み重ねを無視してまで強引に対ラカン戦の舞台を整えた理由が考えられない。つまりここ数話の強引な展開には(バトルの方が人気がでるからという理由や編集部からの要請でもない限り)、対フェイト戦の前にラカンと戦わせるための展開上の必然性があったはずなのです。
……で、その必然性とは何かを考えているうちに思い出したのが以前の考察で述べたことです。
『[考察] 超の目的は対フェイト戦の予行演習か』より
上記の記事で私は、
(1) 麻帆良祭編での超は麻帆良祭の喧騒に乗じて事を起こそうとしたが、魔法世界編でのフェイトも終戦20年を記念した祭典に乗じて事を起こそうとしている。
(2) 麻帆良祭編での超は世界樹が大発光を起こした際に溢れ出す魔力を利用しようとしたが、魔法世界編でのフェイトもオスティアに魔力の対流を導いて何かをしようとしている。
という類似点を指摘しました。
そして今回の展開で、さらに以下の共通点が加わりました。
(3) 麻帆良祭編ではクウネルが超とは関係ないところでネギに戦いを挑んだが、魔法世界編でもラカンがフェイトとの伏線を台無しにする形でネギに戦いを挑んでいる。
というものです。
そもそもクウネルことアルビオレ・イマの目的は、サウザンドマスター・ナギの遺言をネギに伝えるためでした。
そしてラカンの目的は、「サウザンドマスター」ナギ・スプリングフィールドの後継者としてのネギを試すことでもあります。
つまりサウザンドマスターの息子ネギのより一層の成長を促すために、本来のボスとの決戦前にラカンたち「紅き翼(アラ・ルブラ)」の面々が絡んできているという共通点があるのです。
さて、ここまで展開が似てきているならもう一つ、ラスボス役の超とフェイトにも共通点がないかとこれまでの展開を思い返していたところ、実は意外な共通点がみつかりました。
それは、
(4) 超もフェイトも、本来の作戦目的を損ねてでもネギとの決着に必要以上ににこだわっている。
というものです。
(さらにつづく)
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