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2008年8月13日 (水)

[考察] ネギま!がネギま!であるために

 前回までの考察
 [考察] ネギま!のもう一つの主題
 [考察] キャラクターものにだって主題はある
 [考察] クラスメート編が描いてきたもの
 では、ネギま!のもう一つの側面である「ネギと31人のクラスメートの物語」としての主題が「3-Aの日常を守る」であることを説明しました。

 これはある意味当たり前ともいえるでしょう。
 もともとネギま!は10歳の子供先生が女子中学生の担任になるというドタバタコメディから始まっており、それこそが最大のウリの作品なのです。もし「3-A(2-A)の日常を守る」という主題が働かずにクラスメートが離散してしまうようなことが始まったら、それこそ「ネギま!」の作品世界が成り立たなくなってしまいます。したがって、どんな大事件が起ころうとも最後には必ず3-Aの日常に話が戻るというのは、ネギま!世界では決して外せない大テーマとも呼ぶべきものなのです。

 それは、口の悪い読者に言わせれば「お約束」とも呼ばれるものです。どれほど話がシリアスに傾いたとしても、最後にはいつもの麻帆良の日常に戻る。ストーリー主体派の読者からみれば、それは話の展開を拘束する制限のようにも思えます。しかし、ネギま!がもともとキャラクターものの作品として始まったことはまぎれもない事実ですし、ネギま!が未だに31人のクラスメート全員がヒロインであるという建前を捨てていないのも事実なのです。
 だからこそ、3-A(2-A)が崩壊するか、クラスメートのうちの誰かが脱落するような危機に陥ったときには、ネギま!世界ではそれを回避するような力がストーリーに働きます。

 例えば原作序盤の図書館島編では、期末試験にネギのクビがかかるという大変な事態が発生しましたが、結果的にはクラス全員の力をあわせて学年一位になるという栄誉を達成してそれは避けられました。
 また相坂さよが登場した回ではクラスメートたちによって除霊されかけてしまいましたが、ネギと朝倉の機転のおかげでさよはクラスの一員として受け入れられることができました。

 そしてその力は原作だけでなく、アニメ版やドラマ版にも等しく働いているのです。

 
 

 アニメ第1期では、明日菜が悪魔との契約によって命を失うという展開になりました。ネギは明日菜を生き返らせるために八方手を尽くし、ついには悪魔との契約にまで手を出そうとします。しかしネギのやること成すことは常に裏目にでてしまい、2-Aはクラス崩壊の危機に陥ってしまいます。
 例えば夕映は、のどかの恋を後押ししてネギに告白させるところまで手伝います。しかし明日菜の死をきっかけにのどかの思いを全否定し、のどかの目の前でネギに自分の思いを告白してしまいます。

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 また刹那は、木乃香にいつまでも一緒にいてなと頼まれたにも関わらず、明日菜が死ぬのを見逃してしまったのは自分の責任でもあると思いつめて再び木乃香と距離をとるようになります。

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 そしてクラス中がバラバラになってまとまりがなくなってしまうなか、あやかだけは2-Aの日常を守ろうと一人で黙々と麻帆良祭の準備を黙々と続けるのです。

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 そんなクラスの危機を回避できたのは、超のカシオペアが元でクラス全員が過去にタイムスリップし、幼い明日菜を守るためにクラス中が一致団結したからです。

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 のどかは夕映に、恋のライバルが夕映でよかった、一緒に頑張ろうと励まします。真名は刹那に(他に適役がいたにも関わらず)学園長が刹那を木乃香の護衛においたのは、このかのクラスメートとして仲良くしてほしかったからだと伝えます。そして明日菜の契約の元となった魔将軍を浄化し、その結果として歴史が改変されて明日菜の命を助けることが出来たのです。

 

 ドラマ版では超の暗躍により、クラスメートが次々と消失した上に最初から居なかったことになるという事件が発生します。何しろみんなの記憶の中からも消えてしまうため、当初は事件が発生していることにすら気づいていませんでした。

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 そして中盤、残ったクラスメートを結界に閉じ込めた超は、ネギを魔法使いだとばらした上で不信感を煽らせ、クラスメートからの信頼を失わせる策にでます。

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 このように超はネギを孤立させることに成功し、あとはネギのクリスタル化を待つだけの状態になります。しかしそれでもネギに親しいクラスメートたちの意見によって他のクラスメートたちがネギと培った信頼関係を取り戻すと、超の陰謀は覆され、明日菜たちは消失したクラスメートの記憶を取り戻すのです。

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 それでも超に消失させられたクラスメートたちを明日菜が魔法完全無効化能力で救出すると、明日菜は最後に超と対峙して、ネギをクリスタル化させるのをあきらめさせるのです。

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 ドラマ版最終回、超を除くクラスメートはネギを含めて、全員でいっせいにダンスを演じます。一部のファンには不評だったこのエンディング・ダンスは、しかし3-Aが日常を取り戻せたことを意味する極めて象徴的なラストシーンなのです。

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 そしてその一方で、計画に失敗してネギを消失させることをあきらめた超は、未来に帰る決心も決めることもできずに現代に残ることになります。それはたとえ事件を起こした黒幕だからとはいえ、超もまた3-Aの一員だからです。悪いことをしたからと言ってクラスから安易に追放するような終わり方では、3-Aが本当の意味で日常を取り戻すことができなくなるからです。だからこそ明日菜と超の対峙は、一方が他方を排除するというものではなく、明日菜はあくまで超を対等のクラスメートとして対峙しているのです。

 

 このようにアニメやドラマにおいても、そのエピソードにおいてクラスが崩壊の危機にさらされた時にも、結局はそれを回避する方向に話が進んでいくことが分かると思います。それは「3-A(2-A)の日常」こそが、ネギま!の主たる舞台だからです。もしクラスが本当にバラバラになってしまうような展開が進んでしまえば、そのときこそネギま!はネギま!でなくなってしまうのです。

 

 と、ここまでくればアニメ第2期はどうしたという声が聞こえてくるかもしれません。しかし実は、第2期においてはクラス崩壊が起きるような事件は起こっていないのです。何しろスタークリスタル事件で異世界に取り込まれたときにもクラス全員が揃っていたおかげで、異世界でもバカ騒ぎをやって話を消化していたくらいですから。
 第2期はクラスメート全員のキャラクターを前面に押し出すためのシチュエーションコメディというのが作品コンセプトだっただけに、クラスが崩壊するような事件は起こしたくても起こせなかったのでしょう。しかし、「ネギま!」のクラスメート編における主題「3-A(2-A)の日常を守る」というのは、それこそクラス崩壊が起こるような事件でも起きない限り表に出てきません。逆に言えば、クラスが崩壊する危機に陥ったときに、初めて「3-A(2-A)の日常を守る」という筋が表に出てくるのです。第2期ではクラスが崩壊するような展開が発生しなかったため、その筋を表に出す必要もなかったということです。

 

 先に私は、「ネギの父親探し」を小テーマとするならば、「3-A(2-A)の日常を守る」こそが大テーマに相当すると述べました。
 ネギま!がネギま!であるためには、「3-A(2-A)の日常を守る」という主題は絶対に欠かせないものなのです。

 (もうちょっとだけ続くんじゃ)

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