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2008年7月 8日 (火)

[考察] ネギま!に不可欠な亜子の物語

 [考察] ネギま!の本筋とは何か?
 [考察] 魔法世界編は本筋をないがしろにしているのか
 の続編です。

 まず、魔法世界編における和泉亜子の役割から見ていきたいと思います。

 亜子は本来、ネギの父親探しにはそれほど関心を持たないキャラです。ナギ・スプリングフィールドがネギの父親の名前であることすら知らされず、ネギ本人のことよりも、ネギが変身した仮の姿である「ナギ」の方にむしろ関わりのあるキャラです。
 したがって、彼女を魔法世界に連れてきてもネギの父親探しの役には立ちません。むしろネギたちに、亜子の恋愛感情という新たな荷物を背負わせてしまっています。まだまき絵と裕奈の方が、ノリと勢いだけで手伝ってくれそうな分だけ役に立ちそうな気がしますし、実際に朝倉とハルナが、ノリと勢いだけで手伝っているという実例もあります。
 しかし実際には、そのまき絵と裕奈がバラバラにされて以来ネギたちと接触すらできない状態に置かれているのに対し、亜子とアキラ、夏美といった比較的物事を真面目に考えるクラスメートたちがネギの助けを必要としている状態に置かれてしまっています。しかもその原因が、亜子の病気の治療のためですからなおさらでしょう。亜子の存在は、現状ではネギの父親探しにとっては明らかにマイナスにしかなっていません。 

 では本当に、ネギま!にとって亜子の存在はお荷物にしかなっていないのでしょうか?

 一つだけ確実に言えることは、もし亜子を魔法世界に連れてくることがなかったら、亜子を巡るエピソードが進展することはなかったということです。亜子が「ナギ」という、決して実る事のない相手に恋をしているのが亜子編の物語です。それが小康状態に収まっていたのは、ナギが「ウェールズで修行をしている外国人」という設定でした。その場にいない相手に恋をしていても、話が進展することはありません。
 それが劇的に変わったのが、奴隷境遇に陥った亜子たちを助けるために、ネギ(ナギ)たちが拳闘士に出るという展開です。現実にはあり得ない魔法世界で、わけも分からないうちにいきなり奴隷境遇に落とされてしまい、しかもその責任は自分にある。そんな自分たちを助けるために、自分の想い人が体をはって戦ってくれている。亜子にとってはまさしく、これ以上好きになるなと言う方が無茶な展開です。しかもご丁寧にもアキラという客観的に状況を見渡せるキャラを配置して、亜子の好きな相手は現実には居ない存在であり、亜子の恋が決して実らないものだということを認識させてくれます(本来これはくぎみーこと円の役割なのですが)。亜子の物語は、魔法世界編においてこそ十分に輝いているといえるでしょう。

Negima_ron0204

 それが本筋を損なっているといえば確かに損なっています。ネギの父親探しに関係ないから描かなくてもいいことだといえば、確かにそのとおりです。

 しかし実際には、ネギま!という物語の枠組みの上では亜子の物語は欠かすことの出来ないものなのです。

 私はかつて
 [考察] 「魔法先生ネギま!」が持つ構造的な問題
 として、ネギま!の作品構造を

 つまり原作版「魔法先生ネギま!」は
 「10歳の子供先生が年上の女の子たちに振り回されるドタバタコメディ」という形式・舞台の上に
 「10歳の少年が父親の後を追いかける少年冒険譚」という本筋・主題が隠されている
 二重構造になっているのです。

 と指摘しました。
 もともとネギま!は10歳の子供先生が女子中学生の担任になるというドタバタコメディから始まっており、クラスメート31人全員がヒロインであることが最大のウリの作品なのです。話を進めていくうちに本来の主題である「ネギの父親探し」が表にでてきましたが、それでもクラスメート31人全員がヒロインであるという建前がなくなったわけではありません。

 つまりネギま!においては、「ネギの父親探し」という本筋・主題と同じくらいに、「ネギとクラスメートとのドタバタコメディ」という形式・舞台も重要なのです。

 同時に私はこうも指摘しました。

 つまり本来のテーマであるネギの父親探しが表面化するにつれて、麻帆良学園を舞台にしたドタバタコメディという「ネギま!」の(表面的・建前的な)最大のウリから離れていってしまうのです。
 これが原作版「ネギま!」が抱える構造的な問題なのです。クラスメートの話はどこまでいっても脇筋であり、それをいくら積み重ねても本筋とは何の関係もありません。作品の形式・舞台と本筋・主題が乖離しているためにこのような問題が起こるのです。
 

 これを欠点と捉えるか長所とみなすかは人それぞれによるでしょう。おっさんさんのようにストーリー重視派にとっては、運動部+1の存在が本筋の進行を妨げていると捉えられても仕方ありません。それこそがネギま!の抱える構造的な問題なのですから。しかし、ネギま!がもともとキャラクター重視の萌えマンガとして売り出されたことを考えると、亜子たちの存在にスポットが当たったと喜んでいるキャラクター重視派のファンがいることも確かなのです。
  しかしそれでも、魔法世界においてネギたちとの絡みがないまき絵と裕奈には涙を誘われるわけなのですが……

 赤松健はネギま!におけるコンセプトを、「萌えと燃えの融合」と言ってます。その名のとおり、萌え(キャラクター)も燃え(ストーリー)もどちらもネギま!には欠かせないものです。もし、亜子たち運動部+1がいなかったらどうなるのか。魔法世界編は、ネギの父親探しの事情を知っている白き翼のメンバーたちだけの物語になってしまいます。そこにはクラスメートたちの、クラスメート編としてのネギとの絡みは決して起こりえません(実際に夕映は夕映編ともいうべきクラスメート編の主役を演じているにも関わらず、ネギが絡んでこない)。だからこそネギま部(仮)を結成してからも、ウェールズへ着いて行きたさにクラスメートたちが(エヴァにそそのかされて)絡んでくるわけですし、ネギの本当の事情を知らない亜子たち5人が魔法世界に押しかけてきたりもするのです。

 すなわち、魔法世界編における亜子の役割とは、ネギま!が決してネギだけの物語ではなく、ネギと31人のクラスメートの物語だというのを忘れさせないことにあるということができます。

 しかしこれだけでは、魔法世界編が本筋をないがしろにしている(ように見える)理由としては50点ぐらいでしょうか。次はもう少し、他のキャラにスポットを当ててみることにします。

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