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2008年7月 3日 (木)

[考察] ネギま!の本筋とは何か?

 いやー、まいったなー。
 まさかそうくるとは思わなかったぜー。

 何を言っているのかと言いますと、
 MasaxaさんのBLOG「網創漠蓄」内の記事
 「縦糸」は何?
 のこと。

 この記事を読んだときの感想は2つ。
 1つは、そういう捉え方もあるのか!という新鮮な驚き。
 そしてもう1つは、これはまいったなぁ、という苦々しい思いです。

 私の一連の考察記事
 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ失敗するのか
 [考察] 「魔法先生ネギま!」が持つ構造的な問題
 [考察] クラスメート編はネギの父親探しにとって「無用の用」
 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ別物になってしまうのか
 [考察] 原作の舞台を使って全く別の作品を作り上げたアニメ第1期「魔法先生ネギま!」
 [考察] シチュエーションコメディになってしまったアニメ第2期「ネギま!?」
 [考察] 明日菜対超は必然だったドラマ版「魔法先生ネギま!」
 [考察] 失敗作だからこそ成功したネギま!のマルチメディア展開
 は、
 「魔法少年ネギま!」の本筋は、ネギの父親探しである
 ことを前提にして成り立っているため、Masaxaさんの言うとおり父親探しが縦糸の一本にしか過ぎないのならば、話の結論も全く変わってしまいます。

 たとえば、私はアニメ第1期の物語が「ネギの父親探し」の代わりに「明日菜の友情」を描いたまったく別の作品であると評価しました。たとえ表向きの作風が「ドタバタコメディ」として同じように見えても、そこで書かれている主題が全く違うのだから結果として別作品である、という論理です。
 ところが「ネギの父親探し」が縦糸の一本にしか過ぎないのならば、「父親探し」の代わりに「明日菜の友情」を縦糸に据えても作品としての評価はほとんど変わらないということになる。それどころか意地っ張りで素直に助けを求めることが出来なかった明日菜が、クラスメートの影響を受けて助けを求めることができるようになったわけですから、横糸の「相関関係のストーリー」もきちんと描かれていることになってしまう。

 その一方で第2期はシチュエーションコメディになってしまったのだから、第1期ほどクラスメート間の相関関係は描かれていないということになります。「ネギの父親探し」の物語はきちんと描けていたとしても、それは原作にとっては縦糸の一本でしかありません。結局、ネギま!の3本のテレビシリーズの中で一番原作を無視していたのは第2期という結論になってしまうのです。

 私の考察記事はMasaxaさんの記事から多分にヒントを得ていたので、だから「まいったなー」なのです。

 このMasaxaさんと私の解釈の違いは、結局のところ何をもって本筋としているかに尽きると思います。

 Masaxaさんは、おそらく本筋を
 「ネギま!」という作品が最終的に到達すべき地点と、そこへ至る道筋
 であると捉らえているように思います。すなわち、「ネギま!」ならクウネルの変身したナギのセリフ

Negima_ron0201

 とか、ネギのセリフ

Negima_ron0202

 とかに象徴されるような、自分の天命とは何かという命題です。
 平たく言えば自分探しですね。
 これは決して的外れな考え方ではなく、たとえば「A・Iが止まらない!」なら主人公の神戸ひとしは最終的にはMITに招聘されるほどのプログラミング技術に進むべき道を見出しますし、「ラブひな」の浦島景太郎は瀬田の影響を受けて考古学者の道を志すようになります。すなわち、自分の天命とも言うべき天職を見つけてその道に進むことは、赤松マンガに必要不可欠なもう一つの裏テーマとも言えるものです。だからこそ、そういう捉え方もあったのかと驚いたわけです。
 そしてその意味なら、「父親探し」は縦糸の一本に過ぎないという言葉の意味も理解できます。ネギが父親に会って雪の日の決着をつけることは、前に進む、すなわち自分の進むべき道を見つけるために重要なことではあっても必ずしも必要不可欠なものではないからです。

 しかし物事には順序があります。今の時点で「ネギま!」においてネギが進むべき道は何か、を問うのはまだ話が早すぎるように思います。ネギの目標である父親探しは達成できておらず、なぜ父親が失踪したのか、そしてなぜネギのふるさとが襲われたのかすら分かっていない状況なのです。「A・I」のひとしがまず女との付き合い方を学ぶことを覚えなければならなかったように、「ラブひな」の景太郎がまず東大合格という約束を果たさなければならなかったように、「ネギま!」ではネギがまず雪の日の思い出に決着をつけなければ、ネギがどの道を選ぶかすら論じることはできないのです。
(実際、3本のテレビシリーズにおいて、ネギの自分探しにまで言及しているものはありません)

 私は本筋を、もう少し狭い範囲で捕らえています。つまり
 話の構造上必ず描かねばならず、それを描ききってしまえば話が終わってしまうもの
 と捉えています。
 つまりネギが父親を探し出すことは、ネギま!の話の構造上必ず描かれなければなりません。そしてその結果ネギが雪の日の思い出に決着をつけてしまったとしたら、どれだけクラスメートに伏線が残されていたとしてもそこで話がいったん終わってしまうと考えています。

Negima_ron0203

 それでも話が続くとすれば、そのときこそ「ネギま!」の主題はネギの自分探しに変わるでしょう。クラスメートとの話の絡みも、父親との決着をつけて目標を見失ったネギに対し、これからどう進むべきかを諭すような形になるはずです。表向きの形式は初期「ネギま!」のドタバタコメディに似た形になるはずですが、背後に流れる主題・本筋が変わっているため、話の雰囲気は大幅に異なってくるはずです。ちょうど、東大合格を果たした景太郎が海外留学する頃から、「ラブひな」の話の本筋が意地っ張りすぎて素直になれない自分に悩むなるの話に変わってしまったように。

 そして今の時点で、「ネギま!」が必ず描かなければならないことは、やはり「ネギの父親探し」を置いて他にないと思うのです。

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受信: 2008年7月 4日 (金) 09時46分

» 「本筋」の捉え方 [網創漠蓄]
「縦糸」は何? へ各所からの反応を受けて・・・ それぞれ何回かに分けて反応することになると思うので、 ひとまずコメント返しみたいなものを。 Creative Factory 03#2さん 「縦糸」は全体で見るもの >織物の縦糸を1本単位で、バラバラに見ること自体が俺には理解出来ないんですよ。 ちなみに、俺が織物でもっているイメージはトルコ絨毯です。 あ、なるほど「織物」のイメージでしたか。 私のほうは思わず「編み物」のイメージで語っていました。 毛糸編みやら蔓細工のイメージです。 編み物は縦... [続きを読む]

受信: 2008年7月 6日 (日) 17時10分

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