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2008年6月18日 (水)

[考察] 原作の舞台を使って全く別の作品を作り上げたアニメ第1期「魔法先生ネギま!」

 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ失敗するのか
 [考察] 「魔法先生ネギま!」が持つ構造的な問題
 [考察] クラスメート編はネギの父親探しにとって「無用の用」
 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ別物になってしまうのか
 の続編です。

 

あらすじ

 麻帆良学園2年A組、神楽坂明日菜は、10歳の子供先生ネギ・スプリングフィールドと出会う。この子供先生は実は魔法使いであり、偉大な魔法使い(マギステル・マギ)になるための修行として日本で先生を勤めるためにやってきたのだという。
 最初は反発していた明日菜だが、ネギを介して魔法の事件に付き合っていくうちに、自分に魔法完全無効化(マジックキャンセル)の能力があることを知る。その能力が悪魔との契約に寄るものだということを思い出した明日菜だが、ネギやクラスメートに助けを求めることが出来ず、結局14歳の誕生日に契約に基づき命を失うことになった。
 ネギは明日菜を生き返らせるため万策を尽くし、超と葉加瀬からカシオペアの力を借りてタイムスリップした結果、9年前のドイツにクラス全員でやってきてしまう。そこで幼い明日菜と出会ったネギは、クラスメート全員と力を合わせて明日菜と契約した魔将軍を浄化することに成功する。
 結果として歴史が変わり、明日菜は14歳の誕生日の目前に周囲に助けを求めることができ、命を救われることになった。

 

 アニメ版第1期の主人公は神楽坂明日菜です。それはこのシリーズが

Negima_ron0101

 明日菜で始まり、

Negima_ron0113

 明日菜で終わったことを指摘するだけで十分でしょう。

 第1期における明日菜は、生まれつき悪魔を惹きつける魔力の持ち主でした。その結果彼女のいるところ常に災厄に追われる羽目になる。そんな彼女は4歳のときに魔将軍と魂の契約をし、あらゆる魔力を撥ね退ける力を得る代わりに14歳の誕生日に魂を奪われる運命を背負ってしまいます。
 そんな明日菜は、14歳の誕生日を目前に控えてもネギやクラスメートに助けを求めることができませんでした。そんな明日菜を助けようとネギが奮闘し、そのネギをクラスメートたちが力を合わせて助け、ついには死を宿命づけられた明日菜の運命を変えてしまうのです!

 この第1期を肯定的に紹介しているサイトとして、moregutsさんが管理するガッツがたりない日々の戯言の記事を紹介します。

 アニメ版『魔法先生ネギま!』は本当に駄作だったか
 アニメ版『魔法先生ネギま!』は駄作だったか の続き
 アニメ版『魔法先生ネギま!』は駄作じゃないよね
 アニメ版『魔法先生ネギま!』は駄作であるはずがない
 アニメ版『魔法先生ネギま!』は良作だとはさすがに言い切れない

 この記事を初めて読んだとき、私の気づいていなかったアニメ第1期の良さに着目した記事として、目からうろこが落ちるようでした。特にこのアニメのテーマを

まずこのアニメのテーマは「自分の気持ち・弱さを受け止めてくれる人」、要するに友情についてだと思う。このテーマならメインとなるキャラはやっぱりネギと神楽坂明日菜、近衛木乃香と桜咲刹那だろう。

 と宣言し、

パクティオーはこのアニメの中じゃただ単に女の子がアーティファクトを手にとって戦いに参加してくれるための儀式じゃない。ネギが相手の好意を受け入れることを意味しているのだ。(以下略)

 と指摘してくれます。そして最終回のクラス全員パクティオーは

長くなって何を書いているのかよくわからなくなってきた気がするが、とにかく俺が言いたいのはパクティオーってのは最初にも書いたようにネギが相手の思いやりを受け取るという表現なんだということだ。能力的にはパクティオーをする必要がないエヴァや長瀬楓もキスするのはこのためだ。だから30人がキスしていく場面は無茶苦茶でもないしOPを再現しただけのものでもない。ネギとクラスメイトが信頼し合える本当の先生と生徒、そして大切な友達になっていく感動的な場面じゃないか。

もし明日菜が死ぬ前にネギが他の誰かとパクティオーしてたら、ネギの行動は説得力のないものになっていたであろう。ネギの孤独と孤独からの脱却を描くには明日菜以外とパクティオーをしてはいけなかったのだ。

 まさしくアニメ第1期が実は名作だったのではないかと勘違いさせてくれる名考察です。アニメの感想・考察はかくあるべしという見本でしょう。moregutsさんのこの記事は、私が気づかなかったアニメの見方を教えてくれたものです。

 ですが、そうなると次の疑問が出てきます。本当に第1期の主題(テーマ)が「自分の気持ち・弱さを受け止めてくれる人」、すなわち友情であるならば、原作の主題である「ネギの父親探し」はどうなったのだろうか?

 実は第1期のアニメから、「ネギの父親探し」の要素は極力排除されています。

 たとえば原作の第3巻、ネギはエヴァンジェリンの看病をしているうちに、彼女が父親の夢を見ていることに気づき、魔法でその夢を覗き見るシーンがあります。それは子供らしい好奇心などではなく、建前上のモラルも忘れさせてしまうほどネギにとって父親の後を追いかけるのは重要なのです。

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 いけないことと分かってても、覗きをやめないネギ

 しかし、アニメの同じシーンではネギが覗き見していたこともなく、ただ単に昔の夢をエヴァが見ていただけの描写になっています。そもそもネギがエヴァの見舞いに行くというエピソード自体が省略されているので、覗き見るも何もなかったのですが。

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 昔の悪夢を見て飛び起きたエヴァ。

 他にも、原作ではネギにとって京都にある父親の別荘を訪れる絶好の機会であったはずの修学旅行でも、その父親の別荘という設定自体が登場しなかったため、アニメの修学旅行はただ単に木乃香と刹那のエピソードだけを中心に描かれていました。

 そしてネギは、第1期の第25話であっさりとサウザンドマスターに再会しています。

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 9年前のドイツでサウザンドマスターと再会

 つまりこれは、第1期にとって「ネギの父親探し」がそれほど重要な意味を持たなかったということです。明日菜とネギやクラスメートとの関係を描くことの方に重点が置かれていたため、とてもネギの持つ「父親探し」というドラマを入れる余裕が無かったのでしょう。

 そもそも原作の主題である「ネギの父親探し」と、第1期の主題「明日菜の友情」とでは話の方向性が全く違います。
 原作のネギは、ほっておくと1人でどこまでも突っ走ってしまいます。明日菜を始めとするクラスメートたちは、そんなネギに無茶をさせないために、時には強引にでもこちらに振り向かせるためにネギについていきます。いわばどこまでも一人で突っ走っていくネギとそれを追いかけるクラスメートたちという構図です。
 一方アニメ第1期の明日菜は、手を差し出せばいつでもその手を受け止めてくれる友人が側に居るのに、それが出来なかった少女です。その一方でクラスメートの方は、明日菜が差し伸ばせばいつでもその手を受け取るだけの両手を持っていながらも、明日菜が差し出さないためにそれに気づいていませんでした。明日菜とクラスメートたちは対面しているにも関わらず、互いに気づかないですれ違っているという構図です。

 つまり、アニメ第1期「魔法先生ネギま!」は
 「10歳の子供先生が年上の女の子たちに振り回されるドタバタコメディ」という原作と同じ形式・舞台を使って
 「一人だった少女が弱さを見せて周囲に助けを求めるまで」という原作とは全く異なる本筋・主題を
 再構成していたことになります。

 ケーキ屋でイチゴのショートケーキを注文して食べてみたら、中身は実はイチゴのタルトだった、というようなものです。同じ材料を使って全く別の作品を作り上げたようなものです。

 なまじ表向きの形式が同じだったがために、これではファンが混乱するのも無理はありません。これを描ききるにはしっかりとした演出や展開を見せて強引にでもファンを納得させるぐらいの完成度が必要だったはずですが、それは下手なオリジナルアニメを1から作るよりも難しいことかもしれません。不幸にも第1期は(じっくり練るだけの時間がなかったためか)構成がしっかりしていたとは言いがたく、序盤の作画に見られた奇抜な配色やらキャラクターデザインやら作画崩壊が相まって、本来の出来より不当に低い評価を押されてしまった不幸な作品だったと言えるでしょう。

 では、この第1期の反省の上に立った第2期「ネギま!?」はどう作られることになったのかを、明日説明したいと思います。

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