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2008年6月

2008年6月29日 (日)

xxxHOLiC◆継[最終回] 第13話 「報恩 オカエシ」 (6/26)

 今までの主要登場人物たちによるおでん宴会。

 最終回らしく、当初の一般シーンでは今までのゲストキャラが多数エキストラででてきました。双子の姉妹とか同級生の女の子とか……店員の2人も原作に数コマだけでてきたあの人たちらしいし。結構にやりと笑える仕組みになっていました。
 狐のおでん屋の子供がでてきて、そのおでんをひまわりに食べさせるために四月一日が侑子に頼んだ、と解釈してよろしいのでしょう。途中で雷獣とであったりして四月一日はひどい目にあいますが。
 ひまわりがおでん屋に赴いたとき、異界のアヤカシたちがひまわりを見て理不尽な毛嫌いをするのではないかと心配しました。だってまだひまわりの体質そのものは治ってないわけですし。特に雨童女はひまわりを見て、「あんなの」呼ばわりするほどだったわけですしね。
 狐のおでん屋に夢カイ、雷獣、それに猫娘と雨童女と座敷童、そして鴉天狗など、いままでの友好的なアヤカシたちが総登場していました。狐女だけは記憶にないけど……。あと管狐もいたから本当に勢ぞろいでしたね。

 難しいことを考えさせない楽しいお話でした。これはこれで最終回にふさわしい。
 3ヶ月間ありがとうございました。

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図書館戦争[最終回] 状況一二 「図書館ハ誰ガタメニ」 (6/26)

 茨城県展の事件で失認状態に陥った堂上を、郁が毎日見舞いに行く。

 郁たち図書館側の人間は良化隊寄りのマスコミ報道を非難しますが、これは仕方ないと思う。メディア良化委員会側にはマスコミへの勧告是正権を持っているため、マスコミ側としては表立って非難することができない。現在でもテレビマスコミが電波行政を行っている総務省に対する批判をすることができるかを考えてみると分かりやすい。マスコミというものは、自分をつぶすだけの権限をもってるところは絶対に非難しないというかできないのです。その一方図書館側はいくら非難してもその唾が自分に返ってくることはない。結果としてマスコミは良化委員会よりになるということですね。

 稲嶺図書司令が辞任を決意し、逆風が吹き荒れる状況のなかで、堂上の見舞いに行っていた郁がマスコミに狙われる。この放送が反図書隊側マスコミによる突撃取材で、しかも生放送。……おそらく、図書隊員の失言なんかを期待しての生放送だったのかもしれませんが、逆に郁の堂々とした大演説を全国へ放送する事態になってしまう。この放送が生放送じゃなかったら、おそらく良化隊の検閲を恐れて放送されなかったことを考えると、生放送だったのが逆に幸いしたということでしょう。というか、郁の大演説の途中でいつ放送中断になるのか心配してしまった。郁の演説を最後まで放送したということは、このマスコミは実は仮面検閲派だったのかもしれない。

 郁の大演説に全国から応援の手紙が届き、カミツレの花も贈られる。それを持って堂上のもとにいく郁。そして憧れの王子様ではなく、今現在の堂上に対して「好きです……」と告白する。
 直前まで失認状態にあった堂上がこの言葉を聞いていたかどうかは不明ですが、本人の性格から考えてあそこまで恥ずかしい告白を聞いて全く照れずに聞かなかったことにするとは思えないので、告白が終わって泣いたときに意識が戻ったと解釈してよろしいかと思います。
 そしてここまで図書館と検閲をテーマに話を引っ張ってきて、実際には笠原郁と堂上篤とのラブストーリーで話を終わらせてしまったという思い切りの良さもすごくいい。この物語で検閲とはその是非云々を問う以前に、「まずそこにあるもの」という舞台装置の役割でしかない。登場人物たちは検閲があるという世界観の中で行動している。だから郁は、今そこにある検閲と戦うために何十年か後の確実な検閲の撤廃という手塚慧の計画にも反発を示した。そのこれからもずっと続く戦いに赴くためにも、その強い動機付けを確認するために、全てをうっちゃけても堂上への気持ちを告白する。これはこれですごく話がまとまっています。

 3ヶ月間、ありがとうございました。

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2008年6月24日 (火)

図書館戦争 状況一一 「死闘!茨城県展警備」 (6/19)

 まさかとは思ってたけどやっぱり図書館長(と無抵抗の会)は良化委員会側と通じていましたか。責任を問われて思いつめていた図書館長ですが、自分のやっていたことを悪いとは思っていなかったようですね。自分が査問にかけられるとかそういう最悪の事態も想定していなかったのでしょう。本当に自分の信念でやっていたのなら、あそこまでびくつくこともなかったはずです。

 さて、茨城県展での焦点は最優秀作品「自由」。良化隊の制服を破ったこの作品に対して、良化隊側は感情的になっているという。手塚兄の手塚慧が光にその情報を伝えるのはまだ分かるとして、メディア良化隊側の隊員がここで登場してくるとは思わなかった。このシリーズでは、良化隊側の事情は徹底して描いていなかったので。この作品において検閲とは、あくまで世界観を成り立たせるための舞台設定。良化隊側の事情を下手に描くと、作品自体の前提条件に突っ込まざるを得なくなるから、描かないものだと思っていました。

 そして茨城県展の最優秀作品をめぐる死闘は、作画や構成もしっかりしていて確かに凄い。ラス前ですので話を盛り上げたことは分かります。死に物狂いで突っ込んでくる良化隊の無茶苦茶な攻撃ぶりと押されぎみながらも持ちこたえている図書館隊の攻防をすごく丁寧にもりあげていました。

 最後に、停戦時間を過ぎても銃器で攻撃する良化隊員を体を張って止める玄田隊長。そして追い詰められて図書館の資料に火をつける図書館長……何かやらかすのではないかと思っていたけど、やっぱりやりましたか。

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2008年6月22日 (日)

xxxHOLiC◆継 第12話 「真実 ホントウ」 (6/19)

 ひまわりが抱えていた「ホントウのこと」と、その真実を知ってなおひまわりを受け入れる四月一日。
 ひまわりは確かに明るくて優しいキャラクターとして描かれてきたけど、その笑顔や声の抑揚、四月一日への態度などがことごとくうそ臭いものとして描かれてきました。その理由が明かされたエピソードです。

 私がこのひまわりのエピソードで抱いた感想は2つ。1つは、このひまわりの設定は、自分ではその気がないのに周囲に不快感を与えてしまう人間を見事にカリカチュアライズしたものだ、ということです。

 私自身もそういう人間だから良く分かるのですが、最初はひまわりのように周りの人間から受け入れられても、長く付き合っていくうちに周囲の人間に不快感を与えてしまい、自然と縁遠くなってなっていく。自分では言動を変えたつもりはないのに、いつの間にか親しいはずの友人が離れていく。そんな寂しい人間の立場を上手く「xxxHOLiC」の設定に取り入れたなあということです。生まれつき周囲の人間を不幸にしてしまう性質だなんてうそ臭い設定のおかげで上手くごまかされていますが、「じゃあね、さよなら」と本心とは裏腹に四月一日に別れを告げようとしたひまわりの寂しい気持ちはよく分かります。ひまわりの作り物めいた笑顔は、素の自分をさらけ出すと嫌われるのではないかと恐れて自分を偽る演技に相当するでしょう。
 であるなら、そんなひまわりの性質を変えるには「自分の幸せ全てと引き換えにするほど対価が大きい」という侑子の言葉の本当の意味も理解できる。周囲の人間に不快感を与え、気に障るような言動を取るというのは、もって生まれた気質や長年の生活にわたって身についた性格、価値観によるところが大きい。それを直すというのは、自分が自分でなくしてしまうということ。そりゃあ自分が今持っている幸せと引き換えになるのも無理ないわな。

 もう1つは、連載初期(第1期開始)の四月一日がひまわりの持つ性質を知って、なお態度を変えられずに今までどおりひまわりと付き合うことができるかということでしょう。おそらく、アヤカシと関わり経験を積む前の四月一日なら、ひまわりの性質をあれほど自然に受け入れることができなかったはずです。侑子の店にバイトとしてこき使われアヤカシと関わり経験を積んだおかげで成長し、価値観の変わった今の四月一日だからこそひまわりを真に理解して、受け入れることができたということです。これを先ほどのカリカチュアライズに例えていいますと、相手の言動で不快感を受けたときに、なぜその相手がそんな言動をするのか、相手の立場に立って理解することができるようになったということです。それだけ四月一日が人物観察にすぐれ、度量の大きい人間になれたということですね。

 「CLAMP」作品はときどきこういう深いテーマを上手くカリカチュアライズしてエンターテインメントに落とし込んでくるので侮れません。

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[考察] 失敗作だからこそ成功したネギま!のマルチメディア展開

 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ失敗するのか
 [考察] 「魔法先生ネギま!」が持つ構造的な問題
 [考察] クラスメート編はネギの父親探しにとって「無用の用」
 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ別物になってしまうのか
 [考察] 原作の舞台を使って全く別の作品を作り上げたアニメ第1期「魔法先生ネギま!」
 [考察] シチュエーションコメディになってしまったアニメ第2期「ネギま!?」
 [考察] 明日菜対超は必然だったドラマ版「魔法先生ネギま!」
 の結論です。

 今までの考察では、ネギま!の本当の意味でのアニメ化やドラマ化が難しいことや、今まで放映された3本のテレビシリーズが、それぞれ原作とは全く別物になってしまったことを説明しました。これは、原作つきマンガのアニメ化、ドラマ化としてはやはり失敗だといえるでしょう。
 ──ところで、ここで最後の疑問が生じます。つまり、

 

テレビシリーズがそんなに失敗作なら、「ネギま!」のマルチメディア展開も失敗するはずではないのか!?

 ということです。

 「ネギま!」のマルチメディア展開はテレビ化に限らず、CDやDVDのリリース、ネギま!を題材としたゲーム、ラジオ番組の放送、アニメ独自のネオ・パクティオーカードを含む関連商品の発売やら声優・俳優イベントの開催やらいろいろな展開がなされています。そしてそれらの関連商品には原作から派生したものだけでなく、アニメやドラマ関連のグッズも多数発売されています。
 そしてそれらを含めたマルチメディア展開は、どう厳しく見ても失敗だったとはいえないのです。普通、マルチメディア展開の中核をなす作品といえば、やはりテレビアニメシリーズでしょう。その中核を成すテレビシリーズが失敗したなら、マルチメディア展開もまた失敗してもおかしくはない。それなのに、ネギま!はマルチメディア展開全体から俯瞰してみると、かなり盛り上がっており、むしろ成功していると言っていいぐらいです。

 それはなぜか?

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2008年6月21日 (土)

[日記] 今日は貫徹でした

ので、ちょっと予定を入れ替えて、アニメの感想は後回しにして

[考察] ネギま!のテレビ化はなぜ失敗するのか

の最終回を今晩アップします。
さすがに貫徹はきついのよ。

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[考察] 明日菜対超は必然だったドラマ版「魔法先生ネギま!」

 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ失敗するのか
 [考察] 「魔法先生ネギま!」が持つ構造的な問題
 [考察] クラスメート編はネギの父親探しにとって「無用の用」
 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ別物になってしまうのか
 [考察] 原作の舞台を使って全く別の作品を作り上げたアニメ第1期「魔法先生ネギま!」
 [考察] シチュエーションコメディになってしまったアニメ第2期「ネギま!?」
 の続編です。

 

あらすじ

 麻帆良学園女子高等部3年A組の神楽坂明日菜は、杖を持った少年が猫を救うという見えるはずのない現象を目撃する。少年はネギ・スプリングフィールドという10歳の魔法使いであり、明日菜のクラスの担任になる新任の教師でもあった。
 当初はクラス内の人間関係にも疎く的外れな指導をするネギだったが、子供なりにまっすぐ教師としての仕事を勤めるネギ見て、明日菜も次第にネギのことを認めていくようになり、ついにはエヴァ事件でネギのパートナーとなる。
 エヴァの事件後しばらくして、クラスメートたちが気づかないうちに消失する事件が起こるようになる。始めから存在しなかったことになるため事件が発生していることにすら気づかないうちに、残りのクラスメートたちとともにネギが魔法の結界に閉じ込められてしまう。魔法使いであることがバレ事件の黒幕と勘違いされるネギは一人で事件を解決しにいくが、残されたクラスメートは本当の黒幕である超鈴音に消失させられてしまう。唯一残った明日菜は自分の持つ能力・完全魔法無効化(マジックキャンセル)を使ってクラスメートを開放し、超と対峙してこれを退け、事件を解決する。

 ドラマ版の作品構造はアニメ第1期と非常によく似ています。シリーズ自体が明日菜の回想シーンから始まっている上、

Negima_ron0127

 事件を解決したのも明日菜である以上、

Negima_ron0103

 まず神楽坂明日菜のことを第一に描きたかったことは間違いありません。
 これは麻帆良学園3年A組(2年A組)という原作と同じ舞台を使って、全く別の物語を再構成したアニメ第1期と同じどころか、ある意味それ以上です。アニメ第1期では物語はネギの視点で進められており、ネギはまだ主役として描かれていました。しかしドラマ版においては、シリーズのクライマックスを占める超鈴音事件を解決したのは明日菜であり、ネギは終盤で完全にフェードアウトしています。

 なぜドラマ版では、ここまで明日菜に話の焦点を当てたのでしょうか?

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2008年6月20日 (金)

[日記] 本日午前様のため

 仕事の都合で本日は午前様になってしまいました。

 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ失敗するのか

 シリーズの更新は、明日に回します。
 ちなみに残り2回予定です。

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2008年6月19日 (木)

[考察] シチュエーションコメディになってしまったアニメ第2期「ネギま!?」

 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ失敗するのか
 [考察] 「魔法先生ネギま!」が持つ構造的な問題
 [考察] クラスメート編はネギの父親探しにとって「無用の用」
 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ別物になってしまうのか
 [考察] 原作の舞台を使って全く別の作品を作り上げたアニメ第1期「魔法先生ネギま!」
 の続編です。

 

あらすじ

 偉大なる魔法使い、サウザンドマスターを父に持つ10歳の少年ネギ・スプリングフィールドは、一人前の魔法使いになるための最終試験として麻帆良学園3年A組の担任を1年間勤めることになる。着任早々父親との因縁のあるエヴァンジェリンと対決することになるが、生徒の一人明日菜の協力を得てこれを退ける。
 赴任後しばらくして、ウェールズでスタークリスタルが奪われるという事件が起こる。時を同じくして麻帆良学園で、闇の精霊にクラスメートたちが次々と操られる事件が発生する。事件はついにクラスメート全員に魔法がバレ、さらにその全員が異世界に閉じ込められるという事態にまで発展する。スタークリスタル事件の黒幕が幼馴染のアーニャと知ったネギは、クラスメート全員の力と、駆けつけてきた父親に助けられてアーニャを助けることに成功する。
 現実世界に戻ったネギは、父親の後を追うために改めて一人前の魔法使いになることを決意する。

 アニメ第2期のタイトルが「ネギま!?」なのは原作からは変えていくという制作側からの宣言でした。実際第2期では、明日菜がチュパカブラに夢中になったり、裕奈がミリタリーマニアになっていたり、ちづ姉が夏美をいじり倒すようになったり、ザジが寒いダジャレを口にしたりと、クラスメートたちのキャラクターの改変が多岐に渡りました。また魔法の設定も、原作とは全く概念の異なるネオ・パクティオーカードなるものが登場しており、アニメオリジナルを主軸に展開していきました。

 しかしそれでも、敢えて断言します。3本のテレビシリーズの中で「ネギの父親探し」という原作の主題(テーマ)と最も向き合っていたのは第2期「ネギま!?」なのだと。

 スタークリスタルとかネオ・パクティオーカードとか黒板のラクガキネタとかオリジナル要素満載でやりたい放題だった第2期「ネギま!?」が実は一番原作に忠実だった、というのは冗談だろと思われるかもしれませんが、それをこれから説明します。

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2008年6月18日 (水)

[考察] 原作の舞台を使って全く別の作品を作り上げたアニメ第1期「魔法先生ネギま!」

 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ失敗するのか
 [考察] 「魔法先生ネギま!」が持つ構造的な問題
 [考察] クラスメート編はネギの父親探しにとって「無用の用」
 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ別物になってしまうのか
 の続編です。

 

あらすじ

 麻帆良学園2年A組、神楽坂明日菜は、10歳の子供先生ネギ・スプリングフィールドと出会う。この子供先生は実は魔法使いであり、偉大な魔法使い(マギステル・マギ)になるための修行として日本で先生を勤めるためにやってきたのだという。
 最初は反発していた明日菜だが、ネギを介して魔法の事件に付き合っていくうちに、自分に魔法完全無効化(マジックキャンセル)の能力があることを知る。その能力が悪魔との契約に寄るものだということを思い出した明日菜だが、ネギやクラスメートに助けを求めることが出来ず、結局14歳の誕生日に契約に基づき命を失うことになった。
 ネギは明日菜を生き返らせるため万策を尽くし、超と葉加瀬からカシオペアの力を借りてタイムスリップした結果、9年前のドイツにクラス全員でやってきてしまう。そこで幼い明日菜と出会ったネギは、クラスメート全員と力を合わせて明日菜と契約した魔将軍を浄化することに成功する。
 結果として歴史が変わり、明日菜は14歳の誕生日の目前に周囲に助けを求めることができ、命を救われることになった。

 

 アニメ版第1期の主人公は神楽坂明日菜です。それはこのシリーズが

Negima_ron0101

 明日菜で始まり、

Negima_ron0113

 明日菜で終わったことを指摘するだけで十分でしょう。

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2008年6月17日 (火)

[考察] ネギま!のテレビ化はなぜ別物になってしまうのか

 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ失敗するのか
 [考察] 「魔法先生ネギま!」が持つ構造的な問題
 [考察] クラスメート編はネギの父親探しにとって「無用の用」
 の続編です。

 これまでは原作版「ネギま!」の作品構造が、
 「10歳の子供先生が年上の女の子たちに振り回されるドタバタコメディ」という形式・舞台と
 「10歳の少年が父親の後を追いかける少年冒険譚」という本筋・主題の
 二重構造になっていることを指摘しました。
 ただし、伏せ筋であっても本筋はあくまで「父親探し」の方ですので、「ネギま!」を描くということは、そちらをきちんと描く必要があります。

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2008年6月16日 (月)

[考察] クラスメート編はネギの父親探しにとって「無用の用」

 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ失敗するのか
 [考察] 「魔法先生ネギま!」が持つ構造的な問題
 の続編です。

 前編までは「ネギま!」がその作品の性格上、クラスメートの描写を重視すれば本筋が疎かになり、本筋を描いていけばクラスメート編が遠くなっていくという構造的な問題を抱えていることを指摘しました。

 それでは、ネギの父親探しという「ネギま!」の本筋にとってドタバタコメディなクラスメート編は本当に必要ないのかというと、そこが赤松健先生の構成の妙であり、全く不要だとは言い切れない部分があるのです。

 例しに、クラスメート編が全くなかった場合の「ネギま!」展開を考えてみましょう。
 題して、

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2008年6月14日 (土)

図書館戦争 状況一○ 「里帰リ、勃発」 (6/12)

 茨城の県立現代美術館で行われる県展の護衛に赴くことになった図書特殊部隊。しかしそこは、郁の故郷の半径5km圏内だった。

 ── と、今回の茨城県立図書館の惨状は、非武装中立による平和主義を推し進めた戦後日本の姿を露骨に戯画化したものですね。防衛部が業務部に押されて肩身の狭い思いをしているのは、自衛隊が正式には軍隊とされておらず、反戦運動の抗議を受けている歪みのようなものを模した姿でしょう。館長は良化隊との対話路線を進めているようですが、検閲のためなら武器を使うことも厭わないメディア良化隊を前に、どんな対話が成り立っているのか。それでも万一良化隊が攻めてくるという状況を、全然想定していないのではないか。図書館戦争の世界観で、どんな無抵抗主義が成り立っているのか、むしろ良化委員の検閲を唯々諾々と従っているからこそ、良化隊が攻めてこないのかという疑問がつきない。この茨城第一図書館側の態度で一番の問題は、普段冷遇している防衛部に、いざことが起きたら命を懸けて自分たちの図書館を守れと言えるのか。おそらくそんな事態は想定すらしていないのでしょう。

 県展の最優秀作品が、タイトルが「自由」でメディア良化隊の破れた制服を飾ったもの。意味はおそらく、表現の自由はメディア良化隊の検閲を破った先にあるということ。これは明らかにメディア良化隊にケンカを売っている。当然良化隊が攻めてくることを想定しなければならない状況なのですが、見たところ県立第一図書館と現代美術館は館長が違う別組織のようで、図書館長側は美術館長側に余計なことをしてくれたものだと思ってるのでしょう。しかし図書館長側の対話路線では県展の中止か最優秀作品の取り下げになるに決まってるし、それを認めたらメディア良化隊の検閲に屈したという事実が残る。図書特殊部隊側もそれは許せないはず。そんな事態になった場合、図書館長側は防衛部が役目を果たせなかったから(=私は悪くない)と難癖をつけて、さらに待遇を悪くさせるのでしょう。

 とはいえ、ここまで露骨に現代日本の自衛隊と反戦平和運動を揶揄しなくてもいいのではないか。

 県立図書館側の業務部の嫌がらせで、母親に防衛部のことがばれてしまった郁。無理矢理引きずりかえろうとする母親とケンカする郁ですが、堂上のアドバイスで父親と交えての家族会議で決着をつけることになりました。ここで母親は娘に、娘は母親に嫌われていると思い込んでいたことが判明。お互い本音を話したことにより、雨降って地固まるという結果になりましたね。

 そして郁は、業務部の女子にケンカを売る。点検警備に対する重大な妨害として、関東図書基地に報告すると。図書館よりさらに上の図書基地の査定評価までもちだされて意地悪を仕掛けられるほど、度胸のある女子はいなかったようです。玄田隊長が図書館長側に責任を問うと言っていたのも、(防衛部である郁の家族を巻き込んでまでの)点検警備妨害を放置していたことを指しているのでしょう。

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xxxHOLiC◆継 第11話 「秘事 ヒトリ」 (6/12)

 ひまわりの秘密に迫るお話。

 「xxxHILiC」におけるひまわりは、その行動原理がよく分からないキャラクターでした。いつもニコニコ笑っているし、人当たりもよく四月一日が惚れているわけなんだけど、必要以上に周りと関係を持ちたがらない部分があったわけなんですよね。四月一日が自分に好意を寄せていて、その上百目鬼とはケンカの絶えない仲であるにもかかわらず、そんな二人を「仲良いんだね」と言ったりとか。
 まあそんなよく分からないひまわりに、無条件で好意を抱いている四月一日の気持ちも分からない部分もあったわけなんですがね。

 ですが、その彼女と指きりした小指が痛むようになってきて、それが縁で不吉なことが起こるようになった。百目鬼から譲り受け共有した右目が、彼女にまとわりつく妖しい雰囲気を感じ取れるようになってきた。さらには百目鬼の祖父が夢で現れてくるようになった。女郎蜘蛛の事件、夢買いの事件、水汲みの事件が全て伏線となって今回の事件に収束しています。
 今回のシリーズは、まるでこの事件が起きることを前提に話を組み立てられているようなものですね。

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2008年6月13日 (金)

[考察] 「魔法先生ネギま!」が持つ構造的な問題

 [考察] ネギま!のテレビ化はなぜ失敗するのか
 の続編です。

 ここで問題です。
 原作版「魔法先生ネギま!」の主題(テーマ)は何でしょうか?

 またも網創漠蓄さんの記事
 二人のネギと…
 から引用させていただきますが、原作のネギの行動原理は

実はそもそも、ネギの中では
「偉大な魔法使いになること」で父親を追いかけようとしていたから、である。

「父親を追いかける」が主・本音で
「偉大な魔法使いになる」が副次的な目的・建前になっている。

 と指摘されています。
 つまり原作版ネギま!においては、ネギの父親探しこそが主題であり、本筋なのです。

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2008年6月12日 (木)

[考察] ネギま!のテレビ化はなぜ失敗するのか

 赤松健原作のマンガ「魔法先生ネギま!」は、今まで3回テレビシリーズとなりました。
 私は3本のテレビシリーズをリアルタイムで見てきましたが、そこで常々疑問に思っていたことがあります。それは、

 なぜ「ネギま!」のアニメ化やドラマ化は、繰り返し失敗するのだろうか?

 ということです。

 以降「ネギま!」のテレビ化と言えば、以下の3本のことを指すものとします。すなわち

アニメ第1期 「魔法先生ネギま!」 (2005年1月-2005年6月 全26話:以下第1期
アニメ第2期 「ネギま!?」 (2006年10月-2007年03月 全26話:以下第2期
ドラマ版 「魔法先生ネギま!」 (2007年10月-2008年03月 全26話+未放送話1話:以下ドラマ版

 です。

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2008年6月 8日 (日)

xxxHOLiC◆継 第10話 「不戻 キヅキ」 (6/5)

 嘘をつく霊能師の烙印を押された小羽。嘘つきとの世間のバッシングを受け、母親からは水ごりと苦行をさせられる彼女を、四月一日は引き取ることになる。

 原作とはまた違った終わり方になりましたが、小羽ちゃんの話に一定の決着がつきました。やはり少女の霊視は他の4人を上回っていて、画像に写っていない家の壁に埋められた白骨死体の霊を見ていたわけですね。最初はバッシングしていたマスコミや世間が、白骨死体が出てきた途端に掌を返したように態度を改めたことについては、何も言うことなし。人格も描かれていない端役を非難しても仕方ないし、なによりマスコミや霊能師たちは作中ではロールを演じているだけだから。

 小羽の失態を穢れに触れたからだと決め付け、水ごりをさせる母親の狂態ぶりには参りました。原作者でシリーズ構成にもかかわっているCLAMPの大川七瀬の力でしょう。ああいう思い込みと猜疑心の強い女性をうまく描けるのは凄い。見かねた四月一日が小羽を引き取ると宣言したときの「変わった子」とか「もう飽き飽き」とかというセリフもやけにリアル。自分の非を認識できず人に当り散らすことしかできない人間の心理をうまく描いている。

 その母親が戻ってきた小羽と四月一日の夢風船の力で、憑き物が落ちたように人柄が変わりましたね。1日おいたから頭が冷えたのか、もう止めにしようという小羽の言葉にも耳を貸すようになったからか。結局小羽の力が金儲けに結びついたため、その私欲に母親自身が振り回されていた。そんな悪い夢から覚めたのでしょう。以前の母親なら、小羽の霊視が正しいと判明した時点でまた自分が正しかったのだと狂笑をあげたはずですので。

 「xxxHOLiC」の世界観の中では、小羽と母親はめずらしくハッピーエンドで話を終わりました。それは四月一日の夢風船の力もあるけど、それ以上に侑子が言っていたように彼女自身に物事を選ぶ強さが宿っていたから。侑子の店でバッドエンドに終わる客が多いのは、彼女たち自身に自分で物事を選びとる力がなかったから安易に流されたことが多いのでしょう。意志の強さが人を幸せに導く本当の強さであるという価値観は、CLAMP作品が共通に持っているテーマでもありますしね。

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2008年6月 7日 (土)

図書館戦争 状況○九 「昇進試験、来タル」 (6/5)

 今回は全編ラブコメ風味。憧れの王子様が堂上教官だと知って、まともに顔もあわせられなくなる郁。王子様への憧れを本人の目の前で語っていたという気まずさにワタワタする郁の狼狽振りがおかしい。勝手にうろたえて勝手に避けて勝手に嫌われたと思い込んだり。

 話のテーマが昇進試験というのもラブコメにスパイスが効いていてよかったです。図書館法の分厚い本を丸暗記すれば合格できる……郁は座学が苦手だと分かってて言ってるだろう。そんな郁のために2人きりでの試験勉強。王子様=堂上を意識しすぎてまるっきり不審な郁でした。堂上の方も郁の態度に嫌われていると思い込んだり。女子寮にサングラスとマスクで忍び込むあたりなんて正真正銘の不審者です。

 昇進試験の実技は、未就学児相手の本の読み聞かせ。子供相手が苦手そうな手塚が柴崎に頼み込んだりと話全般がコメディータッチになってましたね。いやこういうのも好きですけど。ライトな展開で笑ってみていたけど、図書特殊部隊って武器を持って戦争したり図書の整理と検索をこなしたりした上で、さらに子守までこなさなければならないのですか!? 要求される技能のあまりのマルチっぷりに絶望した!

 最後に郁は堂上の前で、“王子様”からの卒業を宣言する。王子様にではなく、堂上に認められるよう頑張ると。それでも一旦芽生えた恋心は収まらないようで、堂上からデートのお誘いのようなものを言われただけで走って逃げ出してしまう郁。あれ、絶対堂上はデートの申し込みだとは思ってないぞ。鈍そうなのは笠原郁だけではないということで。

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2008年6月 1日 (日)

xxxHOLiC◆継 第9話 「流噂 フウヒョウ」 (5/29)

 しばらくテレビから遠ざかっていた小羽ちゃんの悪評がまたネットを中心に流れ出してしまう。四月一日は小羽ちゃんの見舞い(?)にやってくるが、彼女の母親と問答になり……

 自分の娘に特別な力があり、それでお金を簡単に稼げることが分かれば、母親が道を踏み外すのも無理はないでしょう。しかもあの家族は父親の影が見えない。単純に考えるなら事故死したか離婚したか。そのため生活レベルの維持に娘の力が必要となると思えば、それに執着するのもある意味当然か。
 おそらく母親の中では、娘の力をマスコミに売り込んでお金に変えたのは自分であるし、大人は自分しかいないのだから、そこで得られた報酬を管理するのは自分の責任である。だからそれは自分のお金であるという論理になっているのでしょう。娘のたぶらかして力を落としたり、悪評が立ってテレビ局からのオファーがこなくなるのは、自分が金を手に入れる機会を損なってしまうことである。だから許されないということになるでしょう。娘に精進潔斎を押し付けて自分はブランド物のバッグなどに現を抜かしているのも、娘の力を管理していることに対する正当な報酬であるということですね。

 久しぶりの霊能番組で、4人の霊媒師が男の霊だけを見ているのに対し、小羽だけは2人の霊を見る。もう一人は女の霊であると。違うことを言う小羽に対して他の4人は見えないものを見えるとウソを言ってはいけないとたしなめる。つくづく思うのだがどうしてこの霊媒師たちは小羽のことをウソだと断言できるのだろうか。霊視なんてものは見えたかどうかなんて本人にしか分からないし、仮に小羽がウソをついていたして、それを証明できる人間は誰もいない。霊媒師に霊視をしてもらうということは、その霊媒師の言葉を信じるということ。小羽には女の幽霊も視えたというだけの話であって、逆に言えば4人の霊能師のほうがウソを言っている可能性──たとえば、事前にテレビ局からその建物の来歴を聞かされていた可能性だってあるわけです。

 話の展開としては小羽の能力だけが本物、あるいは他の4人を上回っていて、しかし場の状況を読まない行動から本当のことを言っているにもかかわらずうそつき扱いされてしまうというのがオチでしょうが。珍しくアニメ版「xxxHOLiC」では次回に続くということになりました。

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