[デジタル放送] コピーワンスはなくならない
この前BLOGのページ単位のアクセス解析を見てみたら、他の記事と比較してこのコピーワンスについて論じた回のアクセスが多く、ここは一応アニメ感想系のBLOGなのになあとちょっとショックを受けました。
が、良く考えてみたら私のBLOGは可読性を重視して、どんなに長文でもそれが毎回のアニメ感想なら畳まずに全部の内容を画面に表示するようにしています。逆にアニメ感想以外の記事は、短文でない限り毎回のアニメ感想の邪魔にならないように畳むようにしていました。したがって、逆にこの手の特集記事を読むためには、「続きを読む」のアンカーをクリックする必要があり、そうなると必然的にページ単位のアクセス数が増えるのはむしろ当たり前の話ではないですか!?。
そういえば、トップページはアクセス数がダントツに多かった。決して私のアニメ感想が読まれていないわけではなかったんだ。ヨカッタヨカッタ
と自己完結したところで、
デジタル時代のビデオキャプチャー
コピーワンスはデジタル放送の夢を見るか
の続きです。
個人サイトとはいえこうして地上デジタルとかコピーワンスとかを論じている身としては不心得な話なのですが、あいにく私はコピーワンスやB-CASを始めとする地上デジタル放送の規約がどのような経緯で決まったのか全然知りません。ただ単に、ある日突然、今日からデジタル放送はコピーワンスになりました。これからはB-CASを挿さないとデジタル放送は見れなくなりますという印象しかありませんでした。そこでどういう経緯で決まったかとりあえずインターネットとかで調べているのですが、これがなかなかそれについて論じているサイトを見つけることが出来ません。かろうじて小寺信良氏の記事「『コピーワンス』大そもそも論」の文中に以下の文章が見つかりました。
これを決定するにおいて、学識経験者から広く意見を聞いたという話もないし、パブコメで意見を募集したという話もない。ましてや総務省のなんとか委員会がどうこうしたとか、国会で決議したという話もない。
私はこの文章を読んだあとしばらくして、この文章の持つ本質的な意味に気付いて思わず嘘だ! と(心の中で)叫んでしまいました。嘘だというよりは信じたくはなかったと言う方が正しい。そもそもこの小寺氏は有名なコピーワンス否定論者の一人で、彼の言だけを以ってコピーワンスのことを論ずるのはあまりにも無謀です。もしかしたら小寺氏はコピーワンスを貶めるために、針小棒大な表現を用いただけなのかもしれない。
だがしかし、私が驚いたのは、もしこの文章が本当のことだとすれば、すなわちコピーワンスやB-CASという規則を放送局側の話し合いだけで一方的に決めてしまったのが正しいとすれば、コピーワンスの見直しが行われる可能性は絶望的に少ない、ということを意味していることに気付いたからです。
アメリカにおいては連邦通信委員会が地上デジタルの著作権を守るためにブロードキャストフラグを制定しようとしましたが、連邦裁判司法はブロードキャストフラグが違法だという判決を下したそうです(後藤貴子「ブロードキャストフラグ敗退。コピーフリーになった米DTV」)。これによるとブロードキャストフラグとはコピーワンスですらなく、デジタルコンテンツの無差別配信、大量再配信だけを防止する技術であり、日本のコピーワンスとは比較にならないぐらい「ヌルい」制限だそうです。にもかかわらず、アメリカの消費者団体等9団体が連邦通信委員会を訴え、ついには勝訴してしまったといいます。そういえばCCCDでも、日本や欧州では平気でCCCDを発売している作品でもアメリカ国内では普通のCD盤を発売している企業が多いとはよく聞く話ですね。さすがにCDの規格から意図的に外しているCDモドキを訴訟大国のアメリカで売ることのリスクは無視できないのでしょう。もちろん放送局側もこの違法判決を黙って見ているわけではなく、すぐさま連邦議会に働きかけて「デジタル変換コンテンツセキュリティ法案」なるものを通そうとしています(後藤貴子「アナログホールをふさいでブロードキャストフラグが敗者復活?」)。
このアメリカの件から分かることは、規格制定に関しては「言わぬが華」は美徳ではないということです。日本では消費者団体の力が弱く、この手の規格制定に関しては企業任せなところがあります。また消費者の側も企業のモラルに対して一定の信頼があります。つまり「言わぬが華」とは、専門家や企業の良識に対する信頼の現われでもあり、だからこそ技術に関しては素人である消費者側が余計な口出しをすることを控えていたということでもあります。日本は物作り大国であるため基本的に企業側の力が強く、消費者側の権利が長らく押さえられていたという事情もあります。
にもかかわらず、出てきた規格は放送局側の都合ばかりを前面に押し出して、消費者の利便性を欠片も考えていないコピーワンスという仕様であり、消費者の個人情報が一私企業に集中管理されるB-CASという仕組みでした。これは、消費者や学識経験者の意見を聞かずにデジタル放送の規格制定を進めた放送局側にもちろん第一義の責任はありますが、規格制定時に異論を挟まなかったとすれば、消費者側にもそれを見過ごした責任というものあります。そしてこれを放送局側の目で見れば、せっかく余計なノイズを排して理想のデジタル放送の仕組みを作ったのに、ユーザ側は自分がコピーしたいがために今頃になって反対論を述べていると映ってしまう。しかも最近になって、デジタル放送が進まないのはコピーワンスを始めとする厳しすぎる著作権管理が原因でではないかと総務省がコピーワンスの見直しを検討に入れ始めました。見直しと言っても代案であるEPNはコピー自体は無制限であるが、暗号化によってコピー先や再生する機器を制限すると言ったアメリカのブロードキャストフラグよりもまだきつい制約なのですが。
これがもし、コピーワンスが消費者団体や学識経験者の意見も取り入れた上で導入した規格だとするならば、まだ問題は少なかった。コピーワンスの失敗は放送局側だけの責任ではないということになるのですから。
そう、コピーワンスやB-CASといったデジタル放送の規格が消費者や学識経験者の意見を全く聞かずに放送局側の都合だけで決めてしまったものであるという小寺氏の話が事実ならば、コピーワンスが原因でデジタル放送が普及しないから見直すという最近の議論は、すなわちデジタル放送が普及しないのは放送局側がコピーワンスというワガママを押し通したのが原因だということになってしまう。こんな議論、放送局側が黙って見ているはずがない。従って放送局側にとってはデジタル放送が普及しないのはあくまで消費者側がアナログ放送停波を知らず、メーカーがアナログテレビを未だに売り続けているのが原因だと言うことになる。従ってメーカーがデジタルテレビだけを販売し、アナログ放送停波がいよいよ間近に迫れば、デジタル放送は自ずと現行のアナログ放送を置換していく。だから慌ててコピーワンスを見直すことは無いと言う理屈になるのだ。小寺氏は先の記事中「コピーワンスが続けば録画産業は衰退する。企業の利益が損なわれるとわかったから放送局側も撤廃することに関して二つ返事だ」と楽観的なことを書いているが、私にはことはそう単純に進むとは思えません。事実、2006年末には結論がでるはずだったコピーワンス見直し論は、放送業界の猛反対を受けて2007年を3ヶ月近く過ぎた今になっても結論が出ていません。おそらくアナログ放送停波のそのときまで、下手すると停波してからも、放送局側はコピーワンス見直しに反対するでしょう。
それでは放送局側は、コピーワンスに固執することでデジタル放送の普及が阻まれても構わないと考えているのだろうか? いや、もっとはっきり言えば、コピーワンスと心中してデジタル放送が衰退しても構わないと考えているのだろうか?
いやそうではない。放送局側がここまでコピーワンスに固執するのは、むしろ魂の悲鳴のように無言で叫んでいると、私には聞こえるのです。
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